ゲイムマンのダイスステーション
日本縦断ゲーセン紀行
12.思い出は雨とともに
〜道南編(3)〜
スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで\5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレーして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は\100ずつ増える。
(ただし、1プレー\50円のゲームなら\50ずつ、1プレー\200なら\200ずつ。
ゲームをプレーするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(先週までのゲーム路銀 -\710)
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6月3日、月曜日。
ホテルを10時ちょうどに出発。
今日も故郷、苫小牧を歩く。 |
まずは自分の生まれた、市立病院を見る。
この付近の建物は、古いものが残っていて、
何となく記憶にある。 |
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バスがちょうどいい時刻になかったので、駅まで歩く。
道の途中にある地図でわかったのだが、
今の長崎屋の建物が、もとファンタジードームだった所で、
長谷川の建物が、その頃までの長崎屋だったのだ。
ということは、やはり長崎屋から出ていたチューブは、
ジェットコースターだったのだ。
サンプラザの地下でクレープを食べて、朝食のかわりにする。
今日は、昔よく行った緑ヶ丘公園と、博物館に行きたいと思う。
昨日に引き続き、市営バスターミナルで迷う。
昔はしょっちゅう使ってたのに。
11時12分発のバスで緑ヶ丘へ。
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11時23分、公園通りバス停着(ゲーム路銀 -\710-\220=-\930)。
緑ヶ丘公園は、文字どおり丘の上にある。 |
ハイランドスポーツセンター。
小学生の頃、スケートや水泳の授業があるとここに来ていた。
『クレイジークライマー』を初めて見たのもここだった。
建物の雰囲気は、当時と変わってないようだった。
ちょうど幼稚園のバスが着いたところで、
建物の中から園児たちがぞろぞろ出てきて、バスに乗っていった。 |
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丘のてっぺんには、展望台があった。
多分、昔はなかったと思う。
どんな景色が見えるのかと、期待して行ったら、
何と! 月に1度の休館日!
まったく月曜日はこれだから。 |
苫小牧市ハイランドスポーツセンターのホームページはこちら
坂を下りているときに、サイレンが鳴った。
王子製紙の工場のサイレンだ。
苫小牧の町では、これが正午の合図。
公園通りバス停では、バスの本数が少ないと思って、
もっとひんぱんにバスが来るバス停を探して歩く。だがなかなか見つからず。
停留所5つ分歩いて、緑町郵便局前バス停に着いたのが12時28分。
無駄に歩きすぎである。
36分のバスに乗る。
2つ先の王子総合病院前で下りて、次の目的地へ(ゲーム路銀 -\930-\200=-\1,130)。
白鳥アリーナの前を通る。
1996年にできたスケート場らしい。
苫小牧は、アイスホッケーの王子製紙の本拠地で、
またスピードスケートも盛んな「スケートの街」である。 |
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しかし、ここも月曜休館だった。
そもそも何で月曜に博物館に来ようと思ったかね私は。
公園をしばし散策……しようとしたところに突然の雨!
そういや朝、バスターミナルにあったテレビで、
「午後の降水確率40パーセント」って言ってたけど、こんなに早く降るとは。
昨日も雨だったけど、傘があったからまだ良かった。
今日は傘をホテルに置いてきた!
木々の下を縫うように走って脱出!
雨はいったん収まったが、まだ雲は厚く、いつ降り出すかわからない。
不安を抱えながらも、次の目的地へ。
私の母校、市立若草小学校だ。ここから近いのだ。
近いのだが、着く寸前にまた雨が降り出した。
学校のはす向かいのモスバーガーへ。
もちろん私が小学生のときにはなかった。
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モスの窓から校舎が見える。
若草小学校は、私が通っていた頃と、
あまり変わっていなかった。
ただ、壁が当時と違う色で塗り替えられていた。
サッカーのイラストもなかったと思う。
1周400メートルのトラックがある、広い校庭は健在。
冬場はスケートリンクになる。 |
私が5年生のときに建て増しされた部分が、
ほぼ当時のままで残っていた。 |
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モスを出たのは午後1時50分。雨は上がっていた。
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学校に向かう道路が、こんなんなっていた。
昔はただのアスファルトの道だったのに。 |
また降ってきた。かなり本降りになってきた。おかげで木の下から出られなくなった。
意を決して走る! モスの手前にあった別の木に避難。
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当時から校庭にあって遊具になっていたタイヤが、
今もまだ残っていた。 |
結局またモスへ逆戻り。店内BGMが80年代の洋楽。
私が中学の頃によく聴いていた音楽だ。タイムトリップ感が満点。
空が明るくなってきたので店を出て、
小学生のときに住んでた家のほうへ向かう。
この道もずいぶん変わった。
歩道もきれいな舗装になったし、
車道がフラットで、雨上がりでも車が水をはねない。
昔はスパイクタイヤのために道路がえぐれていて、
雨が降ると水がたまり、
ものすごい水はねを引き起こしていたものだ。 |
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歩道の木々に昔はよく、映画やプロレスのポスターがくくりつけられていた。
だが今生えてる木は細いので、もしかしたら当時のものではないかもしれない。
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昨日から何度もバスで通った交差点。
ちょうど低学年生が下校する時間帯だったようだ。
私も二十数年前は、こんな感じだったのだろう。 |
交差点の角にデンコードー。
この辺りではひときわ大きな建物で、よく目立つ。
もちろん昔はなかった。
昔ここに何があったかは思い出せない。 |
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小学生の頃に住んでたマンション。
当時とまったく変わっていない。
線路沿いにあるので、
実は北斗星に乗ってたときに見ていたのだが。 |
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しかも、周りの風景もだいたい一緒だった。
向かいの公園の遊具も、色が違うだけでほとんど当時からあったもの。 |
公園の隣には、昔通っていた幼稚園。
こちらは遊具が増えているような気がする。 |
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この線路わきでは、
「さようならSL」を見た記憶がある。
多分、現在秋葉原の交通博物館に展示されている
あのSLだと思う。
それと、ここには50両編成の貨物列車がよく通っていて、
通り過ぎるまでずっと見ていたものだ。
今とは違って、当時の貨物列車には、
いろんな車両がつながっていて、見飽きなかった。 |
裏の自動車学校も、その奥の生協も当時の場所にあった。
変わったのは、線路を通る電車の形くらいだろう。
上の写真ではスーパー北斗が通っているが、
これを撮るのに5分以上待った。その間、まったく電車が来ないのだ。
むしろ上空を飛ぶ飛行機のほうが多いくらい。
明日の移動は苦労するかも。
3時20分。スーパー北斗が撮れたので、ここを離れることにした。
しかし、あまりにも当時のままなので、にわかには去りがたく、
さらに10分ほどここにいた。
「公園横断ウルトラクイズ」とかやったのを思い出した。
さらに近所をいろいろ見て回って20分。
歩いてホテルまで戻ることにする。ゲーム路銀をそろそろ抑えたい。
記念切手を買いによく行っていた郵便局の前を通って、
4時18分、駅に着く。
明日東京に帰るつもりで、北斗星の特急券を買うために来たのだが、
ここで気づいたことがある。
明日北斗星に乗ってしまうと、日本VSベルギー戦が見られない!
考えた末、帰るのを1日先に延ばすことにする。
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街灯にアイスホッケーの透かし彫り。 |
昨日晩ごはんを食べた、
グランドホテルニュー王子の前を通る。 |
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4時55分、宿泊しているホテルの部屋に戻る。歩きすぎてバテる。ごろごろする。
6時になってようやく、明日の宿の予約をとる。
さらにごろごろする。そのまま寝る。
目が覚めたら6時45分。休みすぎた。
食事&ゲーム路銀稼ぎに出よう。
予報ではもうやんでる頃だからと、傘を持たずに出掛けたら、
出て歩いた途端に雨。
小雨程度だから、そのまま歩いていったが、どんどん本降りになっていく。
サンプラザに飛び込み、夕食。200グラムのステーキが苦もなく胃に入る。
サンプラザを出たら、既に8時だった。
空腹はおさまったが疲れはおさまらず、また時刻も遅いので、
ゲームコーナーには寄らずに戻ることにする。
……雨はまだ降り続いていた。
しかたない、バスを使おう。と、バスターミナルに歩きかけたときに雨がやむ。
これなら歩ける、と、歩き出して3分もたたないうちに大雨。
笑いのツボをよく心得た雨である。
でも、降ったりやんだりということは、この大雨も長続きしないだろう。
そう考えた私は、通りがかったビルの入口前で雨宿り。
……そのまま15分待つが、一向にやむ気配がない。
走る!
赤信号にあたる!
街路樹の下に入る!
水たまりにハマる!
そんなこんなで、徒歩8分の道のりを、30分以上かけて、
ほうほうの体でホテルにたどりついた。
もしここで雨がやんだら、コントとして完結していたのだが。
ホテルでイタリア−エクアドル戦を見る。2-0でイタリア勝利。
現在のゲーム路銀
-\1,130
苫小牧観光協会
次回、「日本縦断ゲーセン紀行 道南編(4)」では、
日本−ベルギー戦の日のゲイムマンの行動。
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