ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

243.2年半ぶりの京都は雪景色だった
~京都編(9)~


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレイして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレイ¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレイ¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレイするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥450


京都

2025年2月7日。19時18分発のぞみ459号で東京から京都へ。
久しぶりの遠出なので、準備だけでまず疲れてしまい、東京駅に来るまでにさらに疲れた。
金曜の夜なのに窓側の席が取れたのが幸い。

1月31日で閉店するゲーセンがあると聞いていたので、当初はその前日・1月30日に出発するつもりだった。
各施設の営業時間や定休日、各ホテルの値段や場所を調べ、ようやく日程が固まったとき、パソコンに表示された「旧正月」の3文字。
春節休みとモロ被りだったことに、この段階でようやく気づいて日程全部組み直し……。
なぜか春節を2月の中旬くらいと勘違いしてた。なぜか春節休みの期間中も、多くのホテルに空きがあり、宿泊料も安かったのだ。
ゲーセンには、閉店が決まる前に行っとかなきゃだめだ。

なにしろ京都がオーバーツーリズムで大変という話を聞いていたので、今回の旅も京都じゃなくて、別の場所にしようかとも考えていた。
でもほかに行きたい土地が、大雪で大変らしい所とか、遠方なので久しぶりに旅行するには体力がもたなさそうな所とかばかり。
ホテルが空いてるんだったら、そこまで観光客も集中してないんじゃないかと思って、京都から日本縦断ゲーセン紀行を再開することに決めた。

雪などのせいで定刻より遅れ、京都に着いたのは21時42分。


今日の京都タワーは赤かった。

ホテルにチェックイン。
近くのセブンイレブンで、デミグラスオムライスを買う。道の端にうっすらと雪が積もっていた。

京都('25.2.8)

翌8日。3時半から8時半まで寝るつもりが、5時半と7時半に喉の渇きで目が覚めてしまい、7時半から結局眠れず。
旅の初日に寝られないのはよくあることで、前日の移動の疲れ、慣れない部屋、慣れない時間帯の就寝(普段は極端な夜型生活)、あと気温の低さと空気の乾燥など、いろいろ原因があると思う。

(※この3日後から別のホテルに泊まったが、そのホテルでもやっぱり喉が渇いて目が覚めたので、やっぱり空気が乾燥していたのか。このホテルでは加湿器を貸し出しているそうなので、使えばよかった)

昨日セブンで買っていたパンケーキを食べる。
X(twitter)を見たら、雪のため今日の京都競馬場のレースが全て中止になったという情報が。
カーテンを開けて外を見てみたら、ここでも降ってた。積もってた。

2年半ぶりの「日本縦断ゲーセン紀行」。前回の中断地点、京都鉄道博物館へ向かう。
最寄り駅はJR嵯峨野線の梅小路京都西駅だが、嵯峨野線は本数が少ない上に、1編成あたりの車両数も少なく、おまけに車両がクロスシートなので乗れる人数も少ない。沿線には学校、観光名所、ショッピングセンターなどが多く、コロナ禍のときでさえスシ詰めに近い状態だった。

というわけで、地獄の嵯峨野線を避けるため、今回泊まるホテルは梅小路公園に向かうバスが通る、七条西洞院(しちじょうにしのとういん)というバス停に近いところを選んでいた。(アパホテル京都駅北)

梅小路京都西駅の近くにもホテルはいくつかあり、そのあたりに泊まれば今後3日間くらいの移動が格段に楽だったはず。
でもなぜか、どのホテルも価格帯が同じくらいで、しかも連泊するには少々きつい高級宿。
特に、梅小路ポテル京都には、ゲームルームや図書室、レコード室などユニークなスペースがあって、気になっていたのだが。ゲームルームにはアナログゲームが多く揃っているようなので、複数人で泊まるにはいいかもしれない。

閑話休題。雪なのでバスもどうなるか不安だったが、調べたらむしろ嵯峨野線の方が踏切点検で遅れているとの由。
バスで行こう。ただそんな状況だとバスも混んでるんじゃないか。

さらに調べると、京都鉄道博物館の「SLひろば」が閉鎖中!
2年半前は大雨のせいでSLがよく見られなかったのだが、今回は大雪か!
でもXを見ると、除雪はされているので、SLを見ることはできそう。

『近そうでまだ遠いSL<242日目 なかなか見られない蒸気機関車(8)>』

こんな情報収集に時間を取られて、ホテル出発が10時半を回る。


バスに途中のバス停から乗ろうとしても、混んでて乗れないかもしれないと思い、西洞院ではなく、始発の京都駅まで来てみた。


バス乗り場が人でぎっしり埋まってた。
行列が端で折り返して2列になっている。
この状況を見てバスを断念。

幸い、太陽が出てきて、雪が弱まってきたので歩くことにする。
駅前を10時55分に出て、線路沿いを通る。


梅小路にある京都鉄道博物館と京都水族館をイメージしたオブジェが、道沿いのところどころにある。


特急とすれ違う。カメラの準備にもたつき、通り過ぎた特急を、何とか振り返って後追いで撮影できた。
まあ普段から、なるべく運転士さんの邪魔にならないよう、鉄道写真は後ろから撮るようにしているけど。
そのために、自分が乗った列車を撮りたい場合、常に最後尾の車両に乗ってるけど。
(機関車が牽引する列車とか、あるいはバスとか、前後で姿の違う乗り物は別)
それよりも、この電車の形式は681系で合ってるのかどうか、自信がない。


11時13分、梅小路公園の南東隅に着いた。


このあたりに小さな梅園がある。紅梅がわずかに咲いているが、まだほとんどつぼみだった。


芝生広場が一面真っ白だ。


雪だるまを作る人々があちこちに。


このあたりが西八条第(にしはちじょうてい)跡。平清盛と平家一族が住んでいた所らしい。

梅小路公園| 京都市都市緑化協会

※あらかじめここで書いておきますが、「日本縦断ゲーセン紀行」なのに、今回ゲーセンには1回も立ち寄れませんでした。『太鼓の達人』でプレイする曲もある程度決めてきていたのですが。
特に『イースII』の『TO MAKE THE END OF BATTLE』は演奏したかったです。作曲者の古代祐三さんに昨年お会いしたのと、日本ファルコム創業者の加藤正幸会長が昨年末に亡くなられたということもあって。

京都鉄道博物館(梅小路京都西)


梅小路公園の西の端に、JR嵯峨野線の梅小路京都西駅がある。
この高架をくぐると、京都鉄道博物館だ。


旧二条駅の屋根が、見事に白くなっている。


11時35分、京都鉄道博物館に入った。(入館料¥1,500)


前回来たのが2年半も前なので、あらためてプロムナードから見る。
もちろん前回並みにじっくり見てしまうと、前回同様、閉館時刻までにSL扇形庫までたどり着けないので、ざっと見る。

蒸気機関車C62 26、80系電車、0系新幹線。
各車両の詳しい説明は公式サイトに載っているし、このブログでも前回までに書いているから、今回は略す。

京都鉄道博物館


0系の逆側(本館寄り)の先頭車の先端カバーに、「新大阪駅 60th ANNIVERSARY」と書かれていた。


本館へ。新幹線500系、昼行・夜行の二刀流特急583系のクハネ581形、交直流特急電車489系が並ぶ。


489系のヘッドマークが、エル特急・白山のものになっていた。


100系新幹線に、「山陽新幹線全線開業50周年」と書かれている。


引込線に、2年半前にはなかったクハ117形1号車が展示されていた。
(代わりに、トワイライトエクスプレス用のカニ24 12がなくなっていた)

京都鉄道博物館
梅小路公園| 京都市都市緑化協会

前回見ていなかったエリアへ。車輪、台車、集電装置、運転台、連結器。
レール、枕木、保線作業用道具、踏切、信号。
昔のタブレット閉塞器や、ポイントを切り替えるてこ、信号・ポイントの連動装置。架線など電気関係機器。
トンネルや橋の模型。有名な余部橋梁の部材の一部も。


エスカレーターで2階へ。
この階の真ん中が吹き抜けになっていて、1階に並ぶ車両を見下ろせる。

プラレールのあるキッズパーク。模型を運転台で動かす体験装置。運転シミュレーター。


壁一面に、新幹線のCTC(列車集中制御装置)の制御盤。
ダイヤグラム用のプリンターなんてのもある。

関西の各私鉄を紹介する部屋もある。
京都駅、広島駅にあった貴賓室のシャンデリアも展示。


キティちゃん像と、ハローキティ新幹線グッズが展示されていた。

ここは鉄道とさまざまな文化の関連について紹介する部屋。
古今の食堂車のメニューや、駅弁。
鉄道模型。ライブスチームから、幅3ミリのTゲージまで。

そして鉄道をテーマにした、映画、音楽、文学、絵画。
高橋名人主演『はっちゃき先生の東京ゲーム』を探してみたが、見当たらなかった。

貨物の歴史のコーナーには、多種多様な貨車の模型や、実物大のコンテナがある。


昔と今の、駅の改札を再現したスペース。
昔の駅では出札窓口や、改札の木製ラッチ、縦書きの時刻表などを再現。


こちらも昔といえば昔だが、「ちょっと懐かしい」と思う程度の昔。
関西でよく見た感じの自動改札。

切符の印刷機や、歴代のマルス(国鉄・JRの指定席発券システム)の端末。
各時代の切符も展示されているが、今後QRコードつき切符が普及して、磁気切符がなくなると、ここの説明文も変化するのだろうか。

各時代の車内の施設も展示。通勤電車の座席、サボなどや、戦前の長距離列車の車内を再現したスペース。
20系寝台車の3段寝台。昔の照明、洗面台、トイレ、冷暖房。
歴代の最高級座席として、151系パーラーカーから、グランクラスまで。

雪のため、3階のスカイテラスには入れなかった。今は晴れているのだが。


2年半前に来たときの写真。一応スカイテラスには入れたのだが、このときは大雨だったのですぐに退散した。

京都鉄道博物館


特別展は『シンカリオン』だった(3月2日まで)。
私はかなり重度のHSP(極めて感受性が高い人)で、アニメもドラマもほとんど見ない。なので展示はざっと見て回るだけだったけど、シンカリオンがもともとプラレール発祥だったことを初めて知った。


13時45分から、鉄道ジオラマを見る。家族連れのお客さんが多く、館内が混んできた。
プログラムは何種類かあるようで、今回は小さなお子さんならガラスのすぐ前で見ることができる「にぎやか鉄道回」。

何しろこれほどの広さなので、遠くの方はよく見えなかったけど、151系初代こだま号から、新幹線(JR東日本のものも)、また南海ラピートや近鉄しまかぜまで、時代も会社もさまざまな車両が走っていた。

2階のいちばん奥にあるレストランで昼ごはんを食べようとしたが、2台しかない食券機の1台が壊れていて、せっかく並んだのに買えない。
既に14時を過ぎた。2年半前と同じように、展示車両を見終わる前に閉館時刻になってしまわないか、不安になってきた。

確か1階のプロムナードで、弁当が販売されていたはずだ。隣の食堂車がイートインスペースになっていたはず。


14時で閉店してた!

無駄足と空腹状態でイライラを募らせながら、1階の入口近くから、2階のいちばん奥のレストランまでまた戻ってきた。
行列はなくなっていた。壊れてない方の食券機で、無事に食券を買うことができた。


2年半前に食べておいしかったので、今回も「まかないハチクマライス」。
昔の食堂車つき長距離列車の、乗務員のまかない飯がモチーフ。
目玉焼きをご飯に乗せて、ほかにいろいろおかずを乗せたものだったらしい。

京都鉄道博物館のハチクマライスは、目玉焼きのほか、ミートボール、ハム、さつま揚げ、海苔などが乗っている。この写真ではうまく写らなかったが、海苔にはSL義経号のイラストがプリントされていた。

あとから来たお客さんが、さっき壊れていた食券機で、普通に食券を買っていた。
食券機が壊れていた時間は、ごく短時間だったみたいだ。要は私の運がめちゃめちゃ悪かったということ。

もう1つ運の悪いことに、窓の外が大雪になっていた。
この後、扇形庫前の屋外でSL(蒸気機関車)を見る予定だけど、果たして見られるかどうか。
2年半前は大雨で見られなかった。2回続けての悪天候は勘弁してほしい。
ハチクマライスを食べ終わったのが14時50分。さっきの大幅なタイムロスも気になる。

京都鉄道博物館


蒸気機関車(SL)が展示されている扇形車庫へ。
京都鉄道博物館の前身、梅小路蒸気機関車館では、ここがメインの展示施設だった。

2年半前は大雨で、ほとんどのSLを正面から見られなかった。
今度も大雪でどうなるかと思ったが、扇形庫前のターンテーブルにはほぼ雪がない。
閉鎖中と発表されていた「SLひろば」はここじゃなくて、すぐそばの、滑り台などの遊具がある遊び場のことだった。


「SLスチーム号」が、勢いよく煙を噴き上げた。
乗車券を買うと、蒸気機関車が牽引する客車に乗ることができる。
今日の牽引機はC56 160。1939年(昭和14年)製、テンダー(炭水車)つきの小型機関車。
時間がないので私はこれには乗らず、そのかわり、展示されているSLをじっくり眺めて回ることにする。
(C56が走る姿は、かつて大井川鐵道で見たことがある。そのときはタイ国鉄カラーの緑色だった)


屋外にC62 2号機。デフレクター(除煙板)につばめマークつき。特急つばめ仕様だが、全てのつばめ用機関車にこのマークがあったわけではない。軸配置2C2(先輪2軸、動輪3軸、従輪2軸)の「ハドソン」型。
この隣に、同じハドソン型のC61 2号機もある。旅客用蒸気機関車としてはC62に次ぐ大きさで、大量の石炭を投入できる自動給炭装置が初めて搭載された。
(ともに1948年(昭和23年)製。C62はD52、C61はD51からの改造だが、ほぼ新造に近い車両もあったらしい)


扇形庫を、向かって右側から順に見ていこう。
C53は国産のSLで唯一、出力強化のため3シリンダーを持っていた(ほかは2シリンダー)。東海道・山陽本線で特急・急行用に使われた。この45号機は1928年(昭和3年)製で、C53唯一の現存車である。

C59はそのC53の後継機で、C62登場まで特急の牽引機として東海道・山陽本線で活躍、後に全国各地の幹線で使用された。戦前から戦後にかけて製造されたが、この164号機は戦後すぐの1946年(昭和21年)製。
写真は正面から撮っているけど、扇形庫の中にも入れるので、横や後ろからも蒸気機関車を間近で見られる。


C51は1919年(大正8年)から製造された。当時としてはたいへん高性能で、1930年(昭和5年)から東海道本線に登場した特急「燕」(スピードの速さから“超特急”とよばれた)を牽引した。
この239号機は1927年(昭和2年)製。お召し列車専用機関車だったため、外観にお召し装飾が施された。正面に菊花紋、デフレクターに鳳凰のマークがつき、金属部分が磨き上げられている。


D50は貨物需要の高まりを受け、9600形の後継機として登場。通称“デコマル”。140号機は1926年(大正15年)製。D50は、数多く造られた割には保存機が少なく、この140号機のほかには北海道北見市に1両あるだけだとか。

D52は日本最大の貨物用蒸気機関車。戦時中の貨物輸送のため、質を落としてでも大量生産・大量輸送を優先させる戦時設計で製造されたが、戦後に輸送需要が拡大したため、まだ使える車両は改造して使用された。468号機はD52のラストナンバーで、戦後の1946年(昭和21年)になって完成した。


C55とC58の、いずれもトップナンバー(1号機)。
C55は1935年(昭和10年)から、地方の幹線で活躍した中型の旅客用SL。

C58は1938年(昭和13年)製。ローカル線向けの旅客・貨物両用SL。釜石線(SL銀河)、秩父鉄道(パレオエクスプレス)で動態保存されている。
以前はこのC58 1にお召し列車の装飾が施されていたが、当機にはお召し列車牽引の経験がなかったからか(C58自体のお召し列車牽引例は多数あり)、お召し装飾は先ほどのC51 239に移されている。


私が昔、「梅小路蒸気機関車館」時代に撮影した、お召し仕様のC58 1が写っている写真。


C62のトップナンバーもある。さっき同じC62の2号機も見たけど、やっぱり大きい。隣のB20との大きさの違いが際立つ。
日本最大の貨物用蒸気機関車・D52のボイラーを流用した、日本最大の旅客用蒸気機関車。1号機・2号機とも1948年(昭和23年)製造。

B20は戦時中に設計された小型蒸気機関車。構内入れ換え用に使われた。10号機は戦後の1946年(昭和21年)完成。戦時設計でしかも用途が限られたため、戦後すぐに淘汰されたが、本機含め2両が生き残った(もう1両は北海道岩見沢市で静態保存)。
B20は全長も7メートルしかなく(C62は約21.5メートル)、扇形庫の後ろにかなりスペースがあいているので、そこにもう1両小型のSLが入っている。


1070形1080号機。イギリスで1901年(明治34年)に製造された6200形を、1926年(大正15年)に改造した車両。1939年(昭和14年)、日鉄鉱業に払い下げられたが、2009年(平成21年)JR西日本に譲渡され、梅小路蒸気機関車館に保存された。
これは前回、2年半前に撮った写真。大雨だった前回、濡れずに撮れる場所にあったから写真を撮れたのだ。
……今回もまた何か降ってきた。


雪だ。また雪が強くなってきた。

京都鉄道博物館


こんな激しい雪になったけど、雨じゃないから一応、屋外に出て機関車の正面を見ることはできる。
B20 10の隣は9600形。日本で初めて量産された貨物用蒸気機関車で、丈夫で使い勝手も良かったため長く活躍した。9633号機は1914年(大正3年)製。


一等客車マイテ49。こちら側に最後尾の展望デッキが向いている。
特急富士の一等展望車として1938年(昭和13年)に2両製造された。(最初はスイテ37040形の37041号機、後に称号改正でスイテ49形2号機となる)。戦後は進駐軍に接収されるが、返還後は特急「はと」の一等車となった。(1953年からマイテ49形)

そしてその隣に、1,115両と、日本で最も多く造られた機関車、デゴイチ(デコイチ)ことD51のトップナンバー、D51 1号機。1936年(昭和11年)製。
D51はD50の改良型で、D50が入れなかった路線にも入れるようになった。本来は貨物用だが、主に急勾配区間で旅客用にも使われていた。


D51は増備された期間が長かったので、造られた時期によって形がかなり異なる。
1号機はもちろん最初期の形。煙突のすぐ後ろに長いドームがのびているのが特徴。この初期型D51は通称「ナメクジ」とよばれていたらしい。


扇形庫のここから左側では、動態保存のSLが整備されている。中には入れないけど、外からSLを見ることは可能。
整備中のD51 200。2017年から、梅小路の構内のみならず、本線でも運行可能な状態に復元され、SLやまぐち号などを牽引している。


8620形と、D51 200のテンダー(炭水車)。
8620形は1914(大正3年)、日本で初めて量産された旅客用蒸気機関車。この8630号機は最初に造られた18両のうちの1両。
平坦な路線では貨物用にも使われた。線路等級がやや低い路線でも運用できたため、同時期に造られた貨物用の9600形同様、蒸気機関車の末期まで使われていた。
『鬼滅の刃』に登場する、無限列車の機関車のモデルとされる。


2年半前に私がここを訪れたとき、SLスチーム号として走行していたのがこの8630だった。


いちばん左に、ほかとは全く姿の異なるSLがたたずんでいた。
1880年(明治13年)にアメリカで造られ、官営幌内鉄道が輸入した1号機「義経」(義經)号だ(官設鉄道編入後、7100形7105号機となる)。ダイヤ形煙突、大きなカウキャッチャー、煙突の後ろのベルなどがいかにもアメリカ製らしい。
後年、各所が改造されていたが、1952年(昭和27年)、製造当時の姿に戻して、動態復元された。

1990年(平成2年)の「国際花と緑の博覧会」で運転され、花博終了後は大阪の交通科学博物館で保存展示。2014年、京都鉄道博物館の開館に先立ち、再び動態復元された。
なお、さいたま市の鉄道博物館に2号機「弁慶」(辨慶)号、小樽市総合博物館に6号機「しづか」号が保存されている。


さっきのスチーム号が戻ってきた。スチーム号に乗っていた大勢のお客さんが、扇形庫の方に向かって歩いている。
出発前は青空だったのに、今こんな状態だから、お客さんも戸惑ったことだろう。

京都鉄道博物館

最後に、旧二条駅舎の中にある展示室へ。
SLの歴史や各形式の紹介(海外含む)。お召列車用プレート類。SLの修繕用具。C11の投炭口。機関士の制服や携帯品。機関助士見習いのための投炭練習機。昭和中期の里山風景のジオラマ。
見落としがちだけど、駅舎自体の内装も立派な見どころの一つ。


駅員室の中に、昔のタブレット閉塞器や、硬券切符の棚などがさりげなく置かれていた。
窓口には駅員の帽子を被った生きもののぬいぐるみ。近くの京都水族館にいる、オオサンショウウオだろうか。

ミュージアムショップで、ドクターイエロー引退記念のアクリルキーホルダーを購入。つい先日、JR東海所属の923形T4編成が引退したばかり。(JR西日本所属のT5編成は2027年引退予定)
よく見ると、ドクターイエローの窓に小さく「T5」と書いてあった。引退するのはT4だけど、キーホルダーを作っているのがJR西日本だからか。

にわか雪とか、食券機の故障とか、途中いろいろあったけど、最後満足できて良かった。
16時21分、旧二条駅舎から外に出た。


駅舎の屋根にはまだうっすらと雪が積もっている。
旧二条駅舎は1904年(明治37年)に建てられた。設計は伊東忠太。
1996年(平成8年)、嵯峨野線の高架化に伴って新しい二条駅舎が供用されたが、旧駅舎は京都市指定有形文化財に指定され、梅小路蒸気機関車館(現・京都鉄道博物館)に移築保存されている。

現役の二条駅だった頃は、現役最古の駅舎とされていたが、当時から、武豊線の亀崎駅に明治19年(1886年)の建物資産票があり、こちらの方が現役最古ではないかという説が根強くあった。
二条駅舎が現役でなくなったことにより、今では亀崎駅が現役最古の駅舎とされている。

京都鉄道博物館


また雪が本降りになってきた。
屋外展示されている京都市電2000形(1964年(昭和39年)製)の隣にスタバがあるが、混み具合が外からだとわからない。
ホテルに向かって歩きつつ、途中どこか休める所を探そう。

スタバの隣のスペースが、スケートリンクになっていた。
今日の昼間に、フィギュアスケーターの宮原知子さんが来てたらしい。

七条通を歩いて、休めそうなカフェを探すが、なさそう。


仕方ないので、明日訪れる予定の京都水族館の前まで歩き通した。


水族館の前にも京都市電の車両があった。900形ラストナンバーの935号。1957年(昭和32年)製。


朝、雪が積もっていた芝生広場には、もうほとんど雪が残っていない。


ちょうど閉館の17時になった。明日はここからスタートしよう。

梅小路公園| 京都市都市緑化協会

京都

さらに七条通を歩き、結局どこにも立ち寄らず、20分後ホテルに戻ってきた。
自販機で買ったココアを飲んで休憩。
18時を過ぎたら急に眠くなり、19時半まで1時間強、横になる。

晩ごはんは京都駅ポルタの地下街へ。20時台だから混んでるけど、入れる店も意外とあったのはラッキーだった。


ハゲ天でポルタ定食。海老天をはじめ、揚げたての天ぷらを順々に7点。


重すぎず軽すぎず、満足。

京都ポルタ

季節の天ぷら - ハゲ天

ポルタからホテルへ戻る途中、デザートと飲み物を買いにローソンへ。
雪のちらつく中、店内に入ると、BGMが中島美嘉さんの『雪の華』。状況に合いすぎ。
確かに、降ってる雪を見たのは、今日が今年最初だったし。

その次に流れたのは、布袋寅泰さんの『さらば青春の光』。
この曲を聞きながら、ローソンUchi Cafeのデザートを選ぶのはちょっとシュール。

次は何が来るかと思ったら、グレートチキンパワーズ『MIX JUICE』だった。
懐かしさを感じるとともになぜか、
「そういや京都も関西だった」と思った。

クレープとカフェラテを買う。あと明日の朝ごはん用にスイートポテトパン。

京都観光Navi(京都市観光協会) 京都府観光連盟
JRおでかけネット(JR西日本) 京都市交通局

※これまでの「日本縦断紀行」はこちら。

(続く)

現在のゲーム路銀
¥450


今回のルート


次回、「日本縦断ゲーセン紀行 244.京都編(10)」は、
京都でオオサンショウウオに遭遇。
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