ゲイムマンのダイスステーション

日本縦断ゲーセン紀行

244.京都の川にオオサンショウウオがいるらしい
~京都編(10)~


スタート時点での「ゲーム路銀」は、「ゲーセン」にちなんで¥5,000(G千)。
ゲーセンでゲームをプレイして、1面クリアーするごとに、
「ゲーム路銀」は¥100ずつ増える。
(ただし、1プレイ¥50円のゲームなら¥50ずつ、1プレイ¥200なら¥200ずつ。
 ゲームをプレイするためのお金も、「ゲーム路銀」からねん出する)
この「ゲーム路銀」だけを交通費にして、日本縦断を目指すのだ!
(前回までのゲーム路銀 ¥450


京都('25.2.9)

2025年2月9日。午前4時に寝たが、今日も喉が渇いて5時半に目が覚める。
もう一度寝て、あらためて8時半起床。昨日ローソンで買ってたスイートポテトパンを食べる。

10時16分、ホテル出発。今日は雪も雨も降ってない。
バスは乗れないくらい混んでるだろうから、今日のスタート地点となる梅小路公園まで、ひたすら西へまっすぐ路地(木津屋橋通)を歩く。もともと町屋だったっぽい細長い区割りの家々。

途中、国道1号(堀川通)と交差する1ヶ所だけ、まっすぐ道を渡れず、左の歩道橋へ回るが、それ以外はまっすぐ行けた。


10時31分、梅小路公園着。
この芝生広場が昨日の朝、雪に覆われていたとは思えない。天気もいい。


京都水族館の前で屋外展示されている京都市電の車両。900形ラストナンバーの935号。1957年(昭和32年)製。


車両の中に入ることができた。
この小さい車両に、管理人の方が常駐している。

京都水族館(梅小路京都西)


今日は京都水族館へ。(入館料\2,400)

券売機で唐突に、入場時刻を指定する選択肢が現れ、しかもその選択肢の中に、もう過ぎた「10時30分」も表示されるので、ちょっととまどう。
混雑対策だとは思うが、とまどっているのは私だけではないみたいで、むしろ行列を延ばす原因になっている。
ここで券を買う人は大抵、今すぐ入る人だと思うけど。


ともあれ無事に入場できた。
まずは京都らしい川の水槽。


長い水槽のいちばん先の深い所に、特別天然記念物・オオサンショウウオがいた。


思っていたよりでかいし、思っていたよりいっぱいいる。

オオサンショウウオは、鴨川、桂川、由良川に棲息しているらしい。
チュウゴクオオサンショウウオという外来種もいて、交雑個体も多いらしい。
ここに展示されているオオサンショウウオの中には、鴨川水系で捕獲された交雑個体も含まれている。


水槽の端っこで、おおぜい積み重なっている。
京都水族館の公式インスタでも解説されているが、オオサンショウウオは夜行性で、暗い所に集まる習性があるのでこうなるのだとか。
『ツムツム』とか『ぷよぷよ』とか『テトリス』とかのゲーム画面が思い浮かんだ。
右端に棒状のオオサンショウウオが下りてきたら全部消えちゃいそうなくらい、すき間がない。


館内にいる一番大きなオオサンショウウオは、この大きさ。161センチもあるらしい。


しばらく気づかなかったが、水槽の近くにあるベンチが、オオサンショウウオの形をしていた。

京都水族館

梅小路公園| 京都市都市緑化協会



オオサンショウウオに続いては、サケの稚魚。
ここで育てて、京都府北部の由良川に放流しているそうだ。

例年はイクラの状態から展示しているが、今年度は由良川に帰ってくるサケの数が少なく、由良川に放流できる稚魚を各所から調達したので、イクラを展示できなかったそうだ。
サケの来遊数はここ10年で98パーセントも減少しているとか。


魚食普及推進の観点から、おいしい鮭料理のレシピも展示されていた。


由良川の上流・中流・下流を再現した水槽。陽光が差し込む。


下流側で大きな鯉が泳いでいる。

2階へ上がる途中、イルカショーが3分後の11時30分に始まることを知り、急いで「イルカスタジアム」へ。


イルカスタジアム。現在、5頭のハンドウイルカがここで過ごしている。
(「バンドウイルカ」とされることが多いが、もともとは「ハンドウイルカ」で、京都水族館ではこちらの表記)

イルカのイベントは「イルカのがっこう」と銘打たれており、「体育の時間」と「給食の時間」がある。
これから行なわれるのは「体育の時間」。イルカが健康維持のために体を動かして遊ぶ、というコンセプト。

いきなりイルカ2頭がジャンプ中に接触するという不安な立ち上がり。
この2頭は喧嘩しがちらしい。


なので1頭をプールから上げて、しばらくもう1頭だけで動くはめに。

その後も、トレーナーの指示をたびたび間違えたり、オスがメスにちょっかいを出したり。
こんなにトレーナーが困っているイルカショーを初めて見た。


もっとも、終盤にジャンプを成功させて、どうにか格好はついた。


イルカスタジアムの背後が、梅小路公園の芝生広場。
東寺の五重塔がよく見える。


新幹線が頻繁に行きかう。

京都水族館が開業したばかりの頃は、イルカショーももっと派手に行なわれていたようだ。
しかし現在の「イルカのがっこう」は、決められたプログラムで進行するショーではないらしい。イルカの習性や特徴、体の動きなどを解説するという要素が強くなっている。

ここ数年で、動物愛護の観点から、イルカショーをやめたり、やるとしてもイルカに過度な負担をかけない形で、イルカの生態を紹介する趣旨のプログラムで行なう水族館が多くなっているらしい。

京都水族館


イルカスタジアムから、下の階へ戻る。
屋外に、ミナミアメリカオットセイ。
岩の上で眠るオットセイの寝顔を、至近距離で見られる。

ここのオットセイに関する、ほほえましいこぼれ話が、後ろの壁などに書かれていた。


ゴマフアザラシの水槽に、旭山動物園みたいなパイプがあるが、旭山と違って上までつながっていない。
何でこういう構造になってるのかと思っていたら、パイプ内の水面までアザラシが上がってきた。
横になって浮かぶ姿を間近で見られた。

このあたりに「かいじゅうカフェ」があり、各種ドリンクや、オオサンショウウオの形の肉まんなどを買って休憩することができる。
でもまだ体力に余裕があるので、もう少し先に進む。
再び屋内へ。泳ぐペンギンがときどき見られる水槽。ペンギンの多くは今、浅いところにいるようだ。


縦に長い大水槽「京の海」。
500トンの人工海水を使って、若狭湾の様子を再現。


エイが特に目立つが、この水槽では約50種の魚介類が泳いでいるそうだ。
京都の海にもさまざまな生物が生きていることを知る。

照明が暗いので、歩く際には周りに気をつける必要があるが、この暗さが幻想的な雰囲気を醸し出していて、大水槽をずっと眺めていられる。

小さな休憩スペースの自販機で、「伊藤園りんご三兄弟」を買って飲んで小休止。

三たび屋外に出て、さっきのペンギン水槽の上へ。


ちょうど繁殖期らしく、ペンギンの巣穴が設置されていた。
巣穴は水槽の外側に向いていて、間近でペンギンを見られる。
巣の中のペンギンは、卵を温めているのだろうか。


京都水族館のペンギンは、アフリカ南部に生息するケープペンギン。


現在51羽いるそうだ。
写真にうまく写らなかったが、水の上を泳ぐ姿も見られる。

順路はこの先また屋内へ。
さっきの「京の海」大水槽を2階から見下ろす。

京都水族館

赤いタイの水槽があり、そして「クラゲワンダー」へ。
ミズクラゲの、生まれたばかりの幼生(クラゲの形になった数ミリほどの状態)から、成長過程ごとに展示。


クラゲのトンネル「GURURI」。
ドーナツ状の水槽を、外側と内側から眺めることができる。


内側に入ると、全方向どっちを向いても、クラゲがゆっくりと漂っている。


京都水族館ではこのクラゲの展示に、かなり力を入れている様子。現在、約30種類、約5,000匹のクラゲがいるらしい。
「クラゲワンダー」エリアの照明は、よく見ると形が少しずつ異なっている。それぞれここで飼育している種類のクラゲを模しているそうだ。


ひとくちにクラゲといっても、ミズクラゲとは全く姿の違うクラゲもいっぱい。こちらはパシフィックシーネットル。傘をゆっくり開いたり閉じたり。


キャノンボールジェリーフィッシュ。丸っこい傘を動かして進む。

「京都クラゲ研究部」エリアでは、研究員さんの作業の様子が公開されている。

京都水族館

さっきのイルカスタジアムの近くに戻ってきた。
「ミテッテ」という名前のエリアでは、サンゴ礁の生物を展示する水槽が並んでいる。


おなじみチンアナゴ。色違いのニシキアナゴもいる。


頭を下に向け、縦になって泳ぐヘコアユ。


華やかな「南国の海」。

このほか、カクレクマノミをはじめ、日本で見られる6種類のクマノミがいる。

水槽以外に、「クラゲの飼育スタッフの推しクラゲ」など、ユニークなパネル展示も。

その先、壁に小さな水槽が並ぶ「山紫水明」エリアでは、京都にゆかりのある生物を展示。
メダカやゲンゴロウなど、昔の日本の淡水によくいたが、今では数が減少している生物が中心。

ここにカフェがあるので、昼食をとろうと思ったが、現在13時50分。
ちょうどお昼のイルカショーが終わって、お客さんがおおぜい出てきたところ。混雑してきたので先へ進む。


最後は屋外の「京の里山」。
農地に近い環境になっていて、流れる水路に川魚がいるというが、冬場だからか見つからず。
でも、小さな畑に生える、九条ネギや聖護院大根などの葉っぱの緑が鮮やか。
春からはここが田んぼになるらしい。

ショップで、オオサンショウウオのキーホルダーと、チンアナゴの耳かきを買って、京都水族館を後にした。

京都水族館



 

梅小路公園(梅小路京都西)


京都水族館のそばにある「市電ひろば」。
4両の車両が並ぶ。それぞれ車両の種類が異なる。500形、700形、800形、1600形。
京都水族館前にある900形、京都鉄道博物館のそばにある2000形も含め、梅小路公園に展示されている市電は全て異なる種類のようだ。


昨日は雪が積もってたから気づかなかったけど、広場の床が、市電の路線図になっていた。
堀川線(京都駅前-北野)の色が違うのは、この路線だけ京都市電になる前、京都電気鉄道時代からのレール幅で最後まで運行されていたからだろうか。
(京都電気鉄道は国鉄・JRと同じ狭軌1,067ミリ、京都市電は標準軌1,435ミリ。京都電気鉄道が敷設した路線も、京都市が買収した後に標準軌化されたところが多い)

500形は市電カフェ、700形は市電ショップになっている。
混んでいたので中には入らなかった。さすがに市電の車内だと狭い。


市電ひろばの前に、さらに古い形の車両が停車している。狭軌1形(N電)27号車。
リチウムイオン電池を動力として、京都鉄道博物館のそばにある「チンチン電車のりば」まで動く。
ほかの保存車両が昭和以降、しかも500形以外は戦後に製造されたのに対し、この車両は明治・大正期のもの(京都電気鉄道が京都市に買収された1918年(大正7年)以前)。
愛知県犬山市の明治村で走っている市電と同じ形式だ。


屋内にもう1両、明治時代の車両が保存されていた。
広軌1形・29号車。こちらはもともと京都市電の車両なので標準軌。1912年(明治45年)製。

そろそろ昼ごはんを食べようと思ったけど、広軌1形の展示場所近くにある、梅小路パークカフェは混んでいた。
ほかに、緑の館という大きな建物の中にレストランがあるらしいが、どういう雰囲気なのか外から見えなかったのと、ビュッフェ形式というのを若干面倒臭く感じたのと、あと1週間くらいで閉店するということだったのとで、別のお店を探すことにした。
(※レストランは2月17日から、運営事業者が変わることに伴う店内改装のため、営業を休止したそうです)

昨日と同じルートになるけど、七条通に出てみよう。昼食のお店なら心当たりがある。

梅小路公園

14時45分。スタバの隣のスケートリンクの前を通ったら、そこに全日本選手権4連覇、平昌五輪4位入賞の、宮原知子選手がいた。
昨日今日の2日間、宮原選手によるアイスショーとスケート教室が行なわれる予定だったが、昨日は雪のため中止となったらしい。
今日の天気なら大丈夫。宮原選手が小さなお子さんたちにスケートを教えているところだった。

VIVA SQUARE KYOTO|京都市梅小路公園の屋外アイスパーク

七条通にある「OLU BURGER」というお店で昼食。
昨日の大雪の際、私がX(twitter)に投稿したポストに、OLUバーガー公式アカウントが「いいね」をつけてくれていた。

昨日も店の前を通っていて(「いいね」に気づく前)、気になってはいたけど、そのときは既に食事を終えており、探していたのが喫茶店だったので通り過ぎていた。


チーズバーガー。京都和牛パテをミディアムレアで。
旨い。肉汁の旨味が良い。
バンズ、トマト、チーズ、レタスにも、この肉の味がよく合っていた。

OLUBURGER KYOTO | Linktree

OLU BURGERを出て、引き続き七条通を東へ。
15時37分、七条堀川。
西本願寺が近いが、明日あらためてゆっくりお参りしようと思う。

今日はその手前にある興正寺(こうしょうじ)へ。

七条堀川(京都)


興正寺は西本願寺に隣接していて、遠目に見ると、ひと続きの同じお寺のように見える。
西本願寺ほどではないが、なかなか大きなお寺だ。このように立派な三門がある。
だが観光ガイドブックやサイトなどで紹介されることがほぼないので、前々から気になっていたのだ。


親鸞聖人をまつる御影堂(ごえいどう)。興正寺で最も大きな建物だ。


本堂にあたる阿弥陀堂。二層の屋根を持つ。渡り廊下で御影堂とつながっている。

御影堂は1912年(明治45年)、阿弥陀堂は1915年(大正4年)の再建。
江戸時代の本堂は、御影堂と阿弥陀堂を兼ねた「ひとつ御堂」だったが、1902年(明治35年)に焼失した。

中に入ることもできそうだったが、私は浄土真宗でも他宗派なので、遠慮して外からお参り。
すぐ隣が西本願寺なので、観光客は少ないが、こちらのお堂も立派な建物。


鐘楼は1774年(安永3年)、桃園天皇13回忌に際し、皇太后・恭礼門院から梵鐘とともに寄進された。


経蔵は1848年(嘉永元年)建立。

もともとは親鸞聖人が1212年(建暦2年)、山科に建てた寺院が、聖徳太子の事績にちなんだ「興隆正法」(正しい法を興してさかえさせる)という言葉に基づき、「興正寺」となったとされる。この興正寺は東山の渋谷(しぶたに)へ移転した後、佛光寺に改名した。

興正寺は、現在の京都国立博物館の場所にあった佛光寺(現在は四条烏丸の近くに移転)の宗主だった蓮教(経豪)が1482年(文明14年)に独立して、蓮如が宗主を務めていた本願寺(当時は山科にあった)の傘下に入り、本願寺の隣に寺院を建てたのが実質的な始まり。

これ以降、本願寺は安土桃山時代末期まで何度も移転するが、興正寺は脇門跡として常に本願寺と行動を共にしてきた。1591年(天正19年)、本願寺とともに現在地に移転。

しかし江戸時代には、教義の解釈や、本寺末寺の関係性をめぐって、本願寺(西本願寺)と興正寺の対立が何度か発生。興正寺には本願寺からの独立を目指す気運が強まり、明治時代に入って仏教を取り巻く状況が大きく変わった1876年(明治9年)、興正寺は本願寺派から独立し、真宗興正派の本山となった。

1923年(大正12年)、親鸞聖人生誕750年、開宗700年となることから、浄土真宗各派の協調を目指す動きが起き、真宗10派により「真宗教団連合」(当初の名前は真宗各派協和会)が結成された。本願寺派、興正派、佛光寺派はいずれもこの組織に参加しており、過去の経緯はともかく、現在、各派の関係は良好なようにみえる。


ここから西本願寺の飛雲閣がよく見える。
国宝に指定された建物だ。裏側なので装飾は施されていないが。

「教化センター・リテラス」という新しい建物(2023年オープン)で休憩。
16時に閉まるので、5分だけの休憩だけど。
東京の築地本願寺でも感じたが、お寺は閉まるのが早い。


阿弥陀堂の正面にある、阿弥陀堂門から外へ出た。

本山興正寺

浄土真宗のお寺はだいたい、他宗派に比べてお堂が少なく、しかも一般公開されていない建物が多い。また御朱印もお守りもない。
観光客にアピールできるポイントが少ない(というか観光地化されていない)ので、ガイドブックや観光情報サイトで紹介されることもほとんどないのだろう。
(東西本願寺はその数少ないお堂がきわめて大きいのと、日本最大級の仏教宗派の本山であることと、特に東本願寺は京都駅から近いということもあって、例外といえる)

オーバーツーリズムが問題になっている京都の中で、穏やかな雰囲気で静かに過ごせる、貴重な空間かもしれない。


北小路門。西本願寺の門なのだが、隣の興正寺とほぼくっついている。

さっき興正寺の南門をよく見ていなかった。
七条通を歩いている途中、立派な門があったことを思い出したのだ。七条通に戻ってその門を探す。
しかし興正寺の南門は、七条通で見た門ではなかった。さらに西へ歩いてみる。


あった。猪熊門(下間大門)という、西本願寺の門だった。
門の先に龍谷大学大宮学舎や、西本願寺の唐門がある。

今の龍谷大学大宮学舎の場所には、桃山時代に本願寺宗主・顕如の側近だった下間頼廉(しもつまらいれん)が住んで以降、明治時代まで下間氏の屋敷があった。
下間頼廉といえば、光栄(現・コーエーテクモゲームス)のシミュレーションゲーム『信長の野望・戦国群雄伝』で、本願寺光佐(顕如の別名)の部将として登場したのを思い出す。懐かしい。
『戦国群雄伝』での本願寺の部将は、下間頼廉、下間頼龍、下間頼照、七里頼周の4人だったので、「下間」という苗字が印象に残っていたのだ。


また七条堀川交差点に戻り、北へ歩いて、西本願寺の門前へ。こちらは御影堂門。


西本願寺の阿弥陀堂門。

龍谷山 本願寺(西本願寺)

西本願寺には、明日改めて参拝する予定なので、今日はここまで。
お寺の周辺を少しうろついてから、ホテルへ向かう。16時51分着。

晩ごはんは昨日に続いて、京都駅ポルタの地下街へ。昨日より若干早い時刻に来たからか、若干混んでたけど、すぐ入れる店もある。
うどん屋とそば屋の二択で迷った末に、うどんの杵屋へ。
最近、杵屋が水間鉄道の親会社だと知って、何となく親近感を持っていたのだ。水間鉄道にはまだ乗ったことがないけど。

水間鉄道と南海本線の乗換駅・貝塚駅の近くにある願泉寺は、桃山時代に2年間だけ、本願寺だったことがある。


九条ねぎの牛あんかけうどん。
肉の甘めの味つけが、ねぎとしょうがとうまく合わさっておいしい。

グルメ杵屋レストラン

京都ポルタ

水間鉄道株式会社

ホテルに戻ると21時ちょうど。
NHK BSの『球辞苑』にぎりぎり間に合った。

京都観光Navi(京都市観光協会) 京都府観光連盟
JRおでかけネット(JR西日本) 京都市交通局

※これまでの「日本縦断紀行」はこちら。

(続く)

現在のゲーム路銀
¥450


今回のルート


次回、「日本縦断ゲーセン紀行 245.京都編(11)」は、
西本願寺と東本願寺をハシゴ参拝。
「日本縦断ゲーセン紀行 243.京都編(9)」に戻る


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